「牛追い道中」は汽車も自動車もない明治5年(1872年)より始まり、同10年(1877年)以降はほとんど隔月に行なわれ、二十数年間にも及びました。鉄道の発達による大型貨車輸送の開始もあり、明治30年代にはついに終止符が打たれましたが、その後も鹿鳴館や高級料理店などから特別に依頼され、この良質牛を貨車で送り続けていたのです。このことから、松阪地方の肉牛の優秀性が当時から東京で認められていたと言えます。